フィリピンの人との結婚は避けるべきと考えた幼少期
現在40代前半の自分が、まだ小学生だったころ。
父から、フィリピン人と結婚した同僚の話を聞いた。
父によると、職場の同僚の日本人が、奥さんと一緒にフィリピンに行ったところ、奥さんの一族郎党のみならず近所の人までが、日本人同僚のもとにむらがって大変だったらしい。
なんでも、フィリピンは経済的に貧しく、一方、日本人は金持ちだと思われているから、多くのフィリピン人たちが、その同僚にカネや物品をせびったというのだ。
当時まだ自分は小学生だったが、父の同僚が、異国の地で大勢の人に囲まれカネをせびられる姿を想像すると滑稽で、ニヤニヤと笑った。
(今思うと、いろいろな意味で失礼な小学生だった)
そして、父に向ってこう言った。「俺は他人にお金なんてあげたくないし、フィリピンの人と結婚なんてしちゃだめだね」
しかし、それから時は流れ、大人になった自分は子連れのフィリピン人女性と結婚した。
そして、フィリピンから来た妻子とともに日本で生活をしている。
文化の違いなどで、何かとイライラさせられることが多い毎日だ。
しかし、だからと言ってこの選択を後悔をしているわけでなく、自分が仮に生まれ変わったとしても、この妻と連れ子との生活を、もう一度やりたいと思っている。
人生というのは、予想外の方向に進むものだと思う。
大学時代も社会人になっても、フィリピンには興味なし
小学校を卒業したあともずっと、フィリピンとは無縁だった。
サッカーが好きだった自分の興味は、サッカーが盛んなヨーロッパや中南米だった。それら地域の国のことをもっと知れるようにと、大学時代は独学メインで英語やスペイン語などサッカーが盛んな国で話される言語をを勉強した。
そんな自分だったから、サッカーが盛んな国出身の女性との結婚を妄想することはあった。
しかし、フィリピン人女性と親しくなることは、全く考えていなかった。
大学時代に就職活動をしなかったため、大学を卒業すると一時期ニートになったが、その後、紆余曲折あり職安にて職を見つけ社会人となった。
あまり深く考えずに応募したが、そこは海外と取引が多い会社で、その会社での勤続年数を重ねるうちに、北米、南米、欧州や、一部のアジアの国向けの担当業務を行った。
しかし、それでもフィリピンとは無縁な日々が続いた。
はじめてのフィリピン出張
社会人になりある程度の年月を重ねた2009年、当時の上司からフィリピン向けの取引を前任者から引き継いで、新たな担当者になって欲しいと言われた。
それを断れる状況でなく、かくしてフィリピンとの接点が生まれた。
その後、はじめてのフィリピン出張の機会がやってきた。
フィリピン航空でニノイ・アキノ国際空港第2ターミナルに近づき、飛行機の高度が下がると、窓から空港のすぐ近くにスラムっぽい雰囲気の地域や、綺麗とは言いがたい家がたくさん見えた。
それを見て、自分は少し驚いた。
自分がそれまでに行ったことがある東南アジアや南米の国々と比べても、マニラの空港の近くは混沌としている雰囲気に思えたからだ。
しばらくすると飛行機が空港に着陸した。
日本人がフィリピンの空港に到着したところ空港職員から賄賂を要求されたという体験談や、タクシーに物乞いの子供がへばりついて来たという体験談を、知り合いから聞いたことがあった。
しかし、2009年には既にそのようなトラブルの兆しはなく、すんなりと空港の外に出られた。
宿泊先は、取引先の意見なども参考にし、マカティ市のアヤラ・センターに位置するデュシタニ・マニラ(Dusit Thani Manila)ホテルを予約した。
また、空港からホテルまで安全に移動できるようにと、デュシタニ・ホテルの送迎を手配してあった。
ホテルの送迎車の待合スペースに移動すると、送迎車が待機していた。
運転手に挨拶をし、荷物を乗せ、車に乗り込んだ。
小さい頃こそ、フィリピンは経済的に貧しく危ない国だという思い込みがあったが、社会人になり、色々調べる中で、フィリピンは経済的に発展し先進的な場所が増えていることは知識としては知っていた。
また、大人になった自分は、ひとりで、今ほど発展していなかった2000年代初頭の中国や、中南米諸国を含め、多くの国々をまわった経験があったから、仮にフィリピンで貧しい地域を見たとしても、そこまで驚かないと思っていた。
けれど、空港近くのエリアであるにも関わらず、上半身裸やタンクトップ一枚に下は短パンでビーチサンダルという男性を頻繁に目にし、きれいとは言いがたい建物群の横にある狭い歩道に溢れる人々がたり、全体的にゴミゴミしている雰囲気が出ていることに、自分は驚いた。
近代的なアヤラセンターやグリーンベルトに驚いた
もっとも、ホテルに着いた後、フィリピンの経済発展の側面も見ることになった。
ホテルがあるアヤラ・センターといわれる地区は、比較的治安がよさそうで、きれいな多くの高層ビル、グリーンベルトという名の洒落たショッピングセンターなど経済発展をした側面も見ることになった。
その後、フィリピンに何度か行くことになった。
しかし、渡航目的は仕事で、ほぼ毎回デュシタニホテルに宿泊し、基本的にはマニラ首都圏の取引先やそのお客さんを訪問するという内容だった。
そのため、フィリピンの有名ビーチなど行くことなど皆無で、マニラ首都圏の渋滞を車で移動しながら取引先との面談をし、時おり取引先と食事を取ることを繰り返した。
自由時間は、デュシタニ・ホテルの隣のSMマカティからグロリエッタを経由し、グリーンベルトに移動するなど、マカティのアヤラ・センター内で完結することがほとんどだった。
タクシーに乗って別の場所へ行こうとも考えたが、仕事の合間の時間にわざわざ酷い渋滞にハマる機にもならなかった。
そのため、一部日本人男性がよく行くというマニラ市のエルミタ近くのKTVにも全く行かなかった。また、取引先の当時の上席は日本からの訪問者をKTVに連れて行くタイプでなかった。
デュシタニ・ホテルのすぐ横にあるいくつかのKTVには何度かひとりで行ってみたものの、そこでお気に入りの女性ができて、その女性と帰国後連絡を取り合うこともなければ、店に通い詰めるということもなかった。
フィリピンに行くようになって2~3年経っても、妻となる女性とフィリピンで出会うなんて依然思っていなかった。
<つづく>
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